Woman Smile Report 女性たちの暮らしと意識をレポートします

「ウーマノベーション」日本を変える、5つの女子力。 05

「好きになる力」が日本を変える。

2014/12/28

 


 

少数派でも自分の好きに素直でいること。
そんな「好きになる」を貫く=

女性たちの好奇心や行動力が、新天地を切り開く。

 

恋やファッション、身の回りのささやかなもの。物心つく頃から女性は「これ大好き」を見つけるのが得意です。なのに社会に出て働くとなると、無意識のうちに「女性だから」という既成概念に縛られて、自分にブレーキをかけてはいないでしょうか。「求めよ、さらば与えらん」。自分の「好き」の気持ちのままに、未知の世界に飛び込み、時に悪戦苦闘しながらも、確固たるポジションを築いてきた女性たちがいます。彼女たちに共通しているのは、一度きりの人生をいかに満足して生きられるかという思い。世間の常識が変わるのを待つよりも、自らの手で鮮やかに塗り替えてしまう。そんなあっけらかんとした行動力が魅力です。女性には門戸を閉ざしてきた業界でさえ、女性活用の大切さに気づき
つつある昨今。「好き」を貫く覚悟があれば、運命のドアをこじ開けるのは難しくはないかもしれません。そんな可能性を感じさせてくれる企業と女性を訪ねました。

 


 

「好き」という思いが支える、会社を動かす強い力。

株式会社JALエンジニアリング 植木沙耶花さん(31)

羽田航空機整備センター機体点検整備部 第3機体点検整備室(整備士)

 

 


 

華やかな航空業界の裏を支える、エンジニアたち。JALエンジニアリングでは現在73名の女性整備士が在籍しています。工具を手にし、大きな機体相手に活躍する女性たち。その活躍は、経営破綻という苦しい体験を乗り越えた会社にとって、大きな力となっています。

 

チームワークの向こうにある、大きな感動と達成感が機動力。

 

作業服に身を包み、見上げるほどの大きな飛行機の横を颯爽と歩く植木沙耶花さん。目覚まし時計やおもちゃなどを解体するのが大好きだった少女は、学校に来た一枚の求人票から「おもしろそう」との思いを抱き、高度技術の結集である飛行機の整備の世界へと飛び込みました。社内資格、国家資格など、実に多くの資格取得が必要とされ、中には「空の司法試験」と言われるほど難易度の高いものも。「この会社にいる間は、日々勉強なのかも。社会人になってからのほうが勉強しています」と植木さん。夏は暑く、冬は寒い厳しい環境の中、油まみれになりながらも、機体の整備に取り組む日々。「体を動かしているほうが好きなんで、苦じゃないです。女性で小柄だから、エンジンの狭いところに入り込むこともできるし」。手をぐっと伸ばし、感覚だけでボルトを締めるなど、頭脳だけでなく全身を使う作業。「もうひとつ関節があったらいいのにと思うこともあるくらい、アクロバティックですよ(笑)。機体の狭いところへ入ってみたものの、帰れなくなって“どこに足を置いたらいいかアシストしてください〜”と叫ぶこともあります」。それでも10年間続けてこられたのは「楽しいんです。チームで仕事をするので、ああだこうだいいながら、いろんな人とのいろんな力が合わさっていくのが嬉しくて。ものすごく達成感があります」。大変な整備が終わったあとなど、みんなで歓声があがることも。「安全運転を追及するというベクトルのもとのチームワークだから感じられる喜びなのかもしれません」。

 

どん底からの再生力が、新しい風を巻き起こす。

 

植木さんの喜びや楽しさの元にもなっている、チームワーク。同社の中ではチームで考えたり行動することが多く、その小さなチームの活性化が会社全体の活気にもつながっています。それは、過去に会社が経営破綻するという、苦しい経験をしたことも大きかったといいます。「破綻後は、それまでややもすると保守的になりがちだった空気から、“やってみようよ”という初動が早くなり、新しい風が吹いてきました」。これまでは言っても通らないだろうと諦めていたことも、破綻を経験したことで「変わらないと」との危機感を持ったことから、「待っていちゃだめ、自分たちでできることを見つけて、お客さまへのいいサービスにつなげていかないと、と思いました」。想像をして形になる面白さを知り、それが周囲に伝達していきます。「赤ちゃん連れが多いホノルル便では機内で授乳するお客さまのためにカーテンで仕切る、人気のレストランや洋菓子店とコラボレーションした機内食を提供するなど、社内や現場にいる女性の声からさまざまなアイデアが飛び出し、いくつも実現していきました」。半径5メートル以内で起こった経営破綻というリアルな現実。「あの体験があったからこそ、ダメだったことをつきつけられて、意識を変えることができたと思います」。この再生劇は、チームで意見を出し合い、新しいことへとチャレンジしていくきっかけとなりました。植木さんが話すように、他の職種でも勉強や試験が多い同社。「決してラクとは言えないこの状況も、好きなことをしている人が多いから乗り越えられたと思います。小さいころから抱いていた、空や整備士、客室乗務員への憧れ。そこからの高い職業観をもって入社してきているので、幸福度が高いんでしょうね。だから勉強もするし、苦にもならない。飛行機が好き、人と接するのが好き、そしてみんなJALが好きなんだと思います」。「好き」という気持ちは、会社や未来をも動かす計り知れない可能性を秘めているようです。

 


 

<働く女子に贈る明日へのヒント>

人も飛行機も、徹底した安全が求められる整備の世界。植木さんは、男性のように重たいものが持てず、くやしい思いをしたことも。「筋トレしたりジムに通ったりもしましたが、仕事をしているとそのうち力もついてくるし、力の入れ方のコツをつかんだら、ひょいっといけることもあって。経験がものを言うことがわかりました。あまりにも重い物は“お願いします!”と言うようにしています」。何事もあきらめではなく「見極めが大切」だと言います。

自分も社会も満足できる仕事。大好きな地域や仲間とともに。

株式会社東京チェンソーズ 大塚潤子さん(30)

 

 


 

純然たる男社会だと思われていた林業界に、突如現れた「林業女子」。体力的なハンデは、企画センスやコミュニケーション力でカバーして、会社の事業だけでなく地域にも貢献中。彼女が選んだ居場所には、「自分も社会も満足できる仕事」というひとつの答えがありました。

 

自分が貢献できることを考え、行動。その人柄に周囲も巻きこまれて。

 

10代の頃から環境問題や社会貢献に興味があった大塚潤子さんが、東京チェンソーズの存在を知ったのは26歳の時。東大農学部を卒業後、イベント会社に勤めるも、地に足がついていない感覚はずっとつきまとっていました。そんな折、同社代表である青木亮輔氏の著書を読み、「自分の居場所はここだ」と直感した大塚さん。そこからは職務経歴書を送り、同社のイベントにまめに顔を出し、年賀状や暑中見舞いも欠かさず…と熱烈アプローチを始めます。約3年にわたる努力が実って、2013年見事採用に。「人はいつか死ぬし、起きている時間の7割8割は仕事をしているわけだから、仕事をお金を稼ぐ手段だと割り切ることは私にはできなくて。自分も社会も満足する仕事をしたいという思いがずっとあったんです」。「好き」の直感を貫いた理由を、大塚さんはそう語ります。仕事の現場では、チェンソーを持って山中を1時間近く歩くことも。「体力的にも技術的にも、自分が一番下だということは痛感するので、もっとレベルアップしなくちゃと思いますが、今はとにかく自分が貢献できることを探そうと思って」と大塚さん。その決意のとおり、社内の事務サポートもさることながら、同社が地域との絆を深めるうえで、大塚さんの存在が一役も二役も買っているのは、周囲の認めるところ。檜原村の薪PR事業として同社が企画運営を担ったイベント「薪フェス」では、前職でのノウハウを活かして、薪割り体験や、薪ストーブでチャイを振舞うなどの演出でお祭りムードを盛り上げ、「大塚がいなかったらあんなにうまくやれなかった」と先輩たちをうならせました。「まるでスポンジのような吸収力で仕事のコツを飲み込むのも早いし、明るく前向きで、周囲を巻きこむ力がある」と先輩たちが太鼓判を押す大塚さん。今では同社になくてはならない存在です。

 

林業界が広く社会とつながるには、女性の感性や発想が不可欠。

 

創業以来、ほぼ右肩上がりで業績を伸ばしている東京チェンソーズ。その
背景には「地元森林組合の下請けから元請けへの転換」をめざし、2010年以降、人材育成に力を入れてきた経緯があります。大塚さんからのアプローチが始まったのもちょうどその時期。閉鎖的な林業界の壁を破って、広く社会とのつながりを生み出すためには、いずれ女性の参入も必要だと、同社の創業メンバーはすでに考えていたといいます。「女性はこういうもの、と固定概念に囚われた人たちの集団だったら、入っていないし続けられなかっただろうと思います。東京チェンソーズだから、私は頑張れる。いずれ結婚・出産ということになっても、赤ちゃんを しょいこ 背負子に入れて山仕事できたらいいなって妄想してます(笑)」と大塚さん。同社が求めるのは、「柔軟な発想と行動力」、「地域社会に貢献する意欲」、そして「現場の技術と知識」を備えた人材。たとえ営業や画の才覚に秀でていても、山の現場作業に精通していなければ、ここでは通用しません。その点を理解したうえで、熱意を持つ人であれば男女問わず歓迎するというスタンス
です。もとはといえば同社メンバーも、大半が他の職種からの転職組。林業を取り囲む現実を目の当たりにし、「東京チェンソーズがやらなければ」という志に駆られた似た者同士といえます。「山が好き」という思いを出発点に、林業の新しい未来を描くこと。そこに女性が寄与できる可能性はこれからも広がりそうです。

 


 

<働く女子に贈る明日へのヒント>

メディアで紹介され、注目を集めたことがきっかけになって、林業を志す女性から相談を受けることも出てきた大塚さん。「そんな時は“なぜ林業なのか”という軸が自分の中ではっきりしているかどうか聞きます。ただ山が好きというそれだけの理由でもいいので、軸がちゃんとして覚悟もあるのかって。トイレもなくて大変だし、体力的にきついこともある中で、無理はせずにベストを尽くして頑張り続けられる姿勢が大事です」。

好きなレモンとお酒のために、島へ移住。夫婦一緒に命がけで情熱を注ぎ挑戦する。

有機柑橘 農家  山﨑知子さん(42)

 

 


 

おだやかな瀬戸内にある愛媛県大三島。ここに白い壁と青い窓枠が目印の、お洒落でレトロなお店『リモーネ』があります。店主は、笑顔が素敵な山﨑知子さん。テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられ、芸能人や料理研究家などもこの小さな島に来店します。名物は、自作の無農薬レモンで作るリキュール「リモンチェッロ」。パンチと爽やかさのある独特な味が人気で、毎年売り切れることも。この原料となる無農薬の有機レモンの栽培からリモンチェッロの製造、そして販売まで、すべてを山﨑さんご夫婦が自分たちで手がけています。山﨑さんは横浜の出身。東京で営業事務などに携わっていました。夫の学さんはサラリーマンとして多忙を極める日々。そのハードさに「このまま
定年まで、身体を壊しながら続けてもいいのかなと考えたんです」とのこと。二人で話し合い、「新しいことに挑戦してみよう、やるんだったら好きなことをやりたい」との思いから、イタリアで飲んで魅了されたリモンチェッロをレモン栽培からしてみようと、夫婦で思いきって I ターン。「好き」という強い思いに動かされ、あてもないままこの島へ移住しました。

好きなものを作る夢に向かって歩み始めた山﨑さん。何もかも不安な中で、農地を借りるところから始まりました。「放置されていたレモン畑をまずは借りたんですけど、草が覆い被さって木もボロボロ。それを整えることからでした」。始めてみたものの、そこは茨の道。先輩農家さんから「できるわけがない」と笑われもしました。「ここでくじけたら、単に働く場所が田舎になっただけ。やっぱりやりたい!と諦めずに挑戦しました」と当時を振り返ります。有機栽培でレモンを作ることも、リモンチェッロを作ることも、すべてひと筋縄では
いきませんでした。「情熱を注ぎ込みましたね。大変だったけど、思う味ができたときの喜びは本当に大きいし、“好きなことができている”と思うと嬉しくて。お金の悩みや疲労があっても、その達成感と充実感があるから頑張れています」。今年出産も経験した山﨑さん。「好きなことを自営でしているので、誰にも代わってもらえない。出産の直前直後も病院で仕事をしたり、退院後もすぐに仕事を再開したんです。やるからには、大変なこともやるしかない。もう少し頑張ったら絶対できると信じると、違うところからエネルギーが沸いて
くるんですよ。命削りながらやっているけど、好きな思いの力は強いですね」。やっとの思いで今年は酒造免許も取得。「ここからが、本当の第一歩です。プレッシャーもすごいけど、この美味しさをもっと届けるために、次なる夢に向けて頑張りますよ」。知子さんの情熱とチャレンジは、留まるところを知りません。

 


 

<山﨑さんの「好きになる力」の鍵>

お店の中には、自作のリモンチェッロをはじめ、お菓子、ジュース、調味料の他に、雑貨もズラリ。ここには知子さんの「好き」が揃っています。「これがあるといいな、これとこれを合わせたら絶対おいしいなど、アイデアはたくさんあるんです。好きな思いの力は広がりますね。おもしろいです」。

「鳥が好き」の一心で飛び込んだ鵜飼の世界で、新しい境地を拓きたい。

宇治川の鵜飼 鵜匠 公益社団法人宇治川観光協会職員

澤木万理子(40)

 

 


 

宇治のまちと鵜飼の伝承のためにできること。夢中で突き進んだ先に、見えてきたもの。

 

「鵜匠になろうと思ったのは“鳥が好き”というその思いだけだったんです。思い定めると猪突猛進で周りが見えなくなるタイプというか…(笑)」。色白のたおやかな面差しの中に、凛とした意志を感じさせる澤木万理子さん。日本で3人目の女性鵜匠として、平安時代から続く宇治川の鵜飼を伝承しています。鳥を飼育するだけではない、鵜飼特有の「パートナーとして鳥と一緒に仕事をする関係」に惹かれ、27歳でこの道に入って13年が経ちます。突然見知らぬ世界の門を叩いた澤木さんに周囲はびっくり。「こんな華奢な子につとまるんかいな」と、この道60年になる師匠・松坂さんも首をかしげたといいます。6~9月の鵜飼シーズンを過ぎても、鵜の世話は365日休みなし。体力的にもきつい仕事ですが、持ち前のひたむきさを発揮し、3年の見習い期間を経て、鵜匠としてデビューを果たしました。「調子がいい時は、追い綱(鵜に装着する紐)を通して、私と鵜が一体になっている感覚があるんです。そんな時はお客様の反響もよくて、場の空気がひとつになる感じ。あの瞬間の嬉しさが、鵜飼を続けてこられた原動力かもしれません」。

女性鵜匠だからと、まだ経験も浅いうちから世間の注目を集めてしまうことに、抵抗感を抱いた時期もあったそう。「でもやっていくうちに、宇治のまちにとっての鵜飼の重要性や、歴史を伝承する重みなどに気づいてきたんです。だから、鵜飼を知らない方々に、知っていただくきっかけになるというのも大切なことかも、と」。「好き」の気持ちだけで飛び込んだ世界で、新たに芽生えた使命感。今では鵜飼の見物客に向けて、鵜飼の歴史や、鵜の特徴を説明するなど、「魅せる」工夫をこらしています。「このまちは源氏物語の宇治十帖の舞で、紫式部や宮廷文化にゆかりの深いところです。それならば女性ならではの優美さのある鵜飼をめざしてもいいんじゃないか、って思うようになりました」。最近、鵜小屋で産卵があり、一羽の雛が生まれました。そもそも、鵜飼などで飼育しているウミウが卵を産むことは非常に珍しく、人工孵化で雛が生まれたのは初めてです。それ以来澤木さんは、まるでわが子を見守る母親のような心境で、雛を世話し訓練する日々を送っています。「これまでを振り返ると、夢中で突き進むうちに運に恵まれてきたんだなと思います。鵜匠になると言い出した時も“ダメもと”の心境だったし、雛の誕生だって予想もしていなかったけれど、そこに生まれる命があるのなら、守りたいし育ててみせるって思いが湧いてくる。なんでもそうですが、チャレンジしてみたいことがあるのに、やる前から“どうせ無理だろう”とあきらめてしまうのは、もったいないと思うんですよね」。

 


 

 

<澤木さんの「好きになる力」の鍵>

細かいことをあれこれ想定する前に行動してしまうその性格は「好きなことをして生きていくのが一番だ」という姿勢を貫いてきたお父さん譲りかも、と自己分析する澤木さん。自分を待っている鵜たちや、いつも身近にいてくれる師匠松坂さん、後輩の江崎さんの存在が、心のエンジンです。

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